国産綿棒第一号の誕生
綿棒のはじまり
綿棒はもともと病院などで綿を一定の長さにちぎって、棒の端に巻き付け薬の塗布用として使っていたのが発祥と言われています。現在のような一般用綿棒は、1923年アメリカのLeo Gerstenzangが、爪楊枝に脱脂綿を巻き付けて使っている妻を見て考案したのが始まりです。
日本に現在のような綿棒が普及したのは第二次世界大戦後。日本に進駐してきたGHQの放出品として市場に出回るようになりました。
国産綿棒の誕生
日本に登場した当初の綿棒は軸が木製で、柔らかく建材にならないシラカバ材が使用されていました。当時高山ではシラカバが入手しやすいことから、木工品の一つとして爪楊枝の製造が盛んでした。
1946年(昭和21年)に合名会社高山木材工業所を設立し、「木製アイロン箱」などを製造していた当社の初代社長黒川耀雄は、市場に出回り始めた綿棒に着目し、その軸の材質が爪楊枝と同じシラカバで、製法も似ていたことから、綿棒製造の研究を開始しました。爪楊枝製造の「軸部を回転させながら先端を削る技術」の応用や、「綿の繊維を細かくほぐしてから巻き取る方式」などを考え出し、オリジナルの綿棒製造機を開発、ここに国産初の綿棒が生まれたのでした。そして1965年、黒川耀雄は衛生用品製造業として平和エーザイ株式会社(現:平和メディク株式会社)を立ち上げ、日本で初めて綿棒の製造販売を開始したのです。
ただ綿の固まりを巻くだけの海外品に対し、ほぐした綿の繊維を綿アメのようにソフトに巻く製法は日本独自のもので、今でもその基本は変わっていません。
そんな国産綿棒も開業当初は国内需要がなく、ほとんどがヨーロッパや豪州への輸出用でしたが、昭和50年代以降になると急速に家庭に浸透していき、量産可能で安価なプラスチック綿棒、安全性の高い紙軸綿棒、赤ちゃんに便利な細軸綿棒、耳かき用の綿棒、そして当社が日本で初めて開発した耳アカの見やすいブラック綿棒など、用途ごとの綿棒が次々に発売され、現在に至っています。
私たち平和メディクの思い
飛騨高山に森林資源として豊富にあったシラカバ、それを原料に古来からの木工技術で製造されていた爪楊枝、必然ともいえる出会いを機に、「飛騨の匠」の技術と心を受け継いだ飛騨人が好奇心旺盛に研究・開発を重ねた結果が、ここ高山で産まれた「国産綿棒第一号」なのです。
私たち平和メディク株式会社はその伝統を誇りに思い、今後も日々たゆまぬことなく成長し続けてまいります。